霧吹きの痛み

夫が振替休日、私が出勤だった昨晩のできごと。

「使っている途中で霧吹きが壊れたから、買っておいたよ」と夫。

室内の観葉植物には、基本的に毎日霧吹きで葉水をやることにしている。
そのガラス霧吹きのことだ。

夫の目線の先には、明らかに100円ショップで購入したプラスチックの霧吹き。
100円ショップの霧吹きは、水の勢いが激しく、植物が痛々しい。
私はそれを知っている。

・なぜ勝手に購入するのか
・なぜLINEでどうするか聞いてくれなかったのか

私が、家の中のもの1つ1つ、吟味して購入しているのを知っているのに・・・。

「知っているのに・・・」

・・・きっと、知らないのだろう。
「知っているだろう」「わかるだろう」は通じない。
夫は何も見ていない。
夫は何もわからないのだ。

ガッカリしたのは、意にそぐわないものを購入したことだけではない。

いつもは勤務後、飼い猫のため急いで帰宅するけれど、今日は夫が家にいるから買い物をして帰った。
夫も、猫の餌ならあげられる。

買い物といっても、私物ではない。家で必要なものだ。
昼間にLINEの1つでも入れてくれていたら、霧吹きも一緒に購入して帰ることが可能だったのに。

・なぜ、買ってきてと頼んだものは買ってこないのに
・なぜ、頼みもしないものは買ってくるのだろう

もちろん、自分のこだわりだとわかっている。
それでも、こんなことでも、不意に、叫びだしたくなる。

払う気のない108円。
痛みを伴わないと沁みないだろう、浅はかな意地悪。

けれど、少し時間をおいて渡した。
「今度からちゃんと聞いてね」の言葉をそえるために。

たぶん、わからないだろう。
また同じことをするのだろう。
言っても無駄なのだろう。

もしくは、わからないから「もう何もしない」だろう。

あっさり受け取られた108円。

霧吹きをゴミ箱に投げ入れ、行き場のない感情の震えを発散しようとする。
翌朝には、申し訳ないような気持ちがして、ゴミ箱から戻したけれど。

夫が買ってきた霧吹きは、私の小さな手には、レバーが大きすぎ、指間に食い込んだ。
それが、すべての象徴のようだった。

再び、静かな気持ちで、霧吹きをゴミ箱に入れた。

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