夫を障がい者だと思った日②
前回の続きです。
前回↓
夫を障がい者だと思った日①
翌日になってもオス猫の症状は良くならない。
病院で点滴と投薬を受ける。
食事をスポイドで与えようとしても、ほとんど食べない。
排泄もしていない。
前日は動くことはでき、私の膝の上に乗ろうとした。
獣医からは「子猫の負担になるから触らないように」と指示を受けていた。
膝の上に丸まって、私を見上げる子猫の愛らしさがたまらない。
少しだけそのままの姿勢でいたが、獣医の言葉があったため、ケージに戻した。
このことは今でも深く後悔している。
けっきょく死んでしまうのなら、少しでもこの手で包み、あたためてあげれば良かった。
あのコはそれを望んでいたのに。
私のそばにいて甘えたがったのに。
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この日は動くのも辛そうになる。
そしてメス猫まで体調が変化した。
ご飯を食べず、下痢をするようになった。
子猫を2匹、別々のキャリーに入れ、病院へ向かう。
夜には「オス猫はもうダメだ」とわかるくらい衰弱し、帰宅した夫に夜間動物病院に連れて行ってもらう。
子猫の負担にならないように、私は少しでも、猫の横たわるキャリーが揺れないようにしたい。
しかし夫は優しいから、キャリーを自分で持とうとする。
その夫に私は何度も言う「いい、私が持つ。キャリーが揺れるから」。
夫にはこの言葉が耳に届かない。なぜ。
キャリーを片手で持ったまま、ドアを開閉したり車の鍵を開けようとする。
私はそのたびに繰り返すのに、夫の耳に入らない。
「猫が揺れるから。私が持つから」
夫は混乱していたのだろうか。
1日仕事を終えた後だ。
初めての状況。泣いている私。
これ以上の情報処理は難しかったのだろう。
適用能力以上のことが起こっているから、もう何も、頭にも心にも入らない。
シャットダウン。
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病院の待合室。
私は長椅子に腰掛け、子猫の横たわるキャリーを横に置く。
お願い、死なないで、死なないで、助かって、とひたすら願う。
立っていた夫は、場が持たないのか、片足でぴょんぴょんリズムを取る。
そんな夫に対し、もう何も考えたくない、と思う。
それでも夫を気遣い、隅にある丸椅子を持ってきて座ったら、と促す。
すると夫は丸椅子を持ってきて、キャリーを持ち上げる。
持ってきた丸椅子にキャリーをおいて、自分が長椅子に座ろうとする。
さすがに言葉を選べず「違う、あなたがこっち」と吐き捨てた。
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診察の順番がやってきた。
先生には「目が生きようとしているから大丈夫かもしれない」と言われ、一瞬希望の灯がともる。
夜間病院は入院に対応していない。
「とにかく体を冷やさないように」と何度も言われ、体をあたためる方法をいくつか教えてくれる。
私は先生の言葉を必死にメモに取り、夫は私の横でそれを聞いている。
が、そのうち子猫がしゃっくりを始めた。
こんなに弱っていて、体の負担になるのに、しゃっくりが止まらない。
小さな小さな体でしゃっくりをする。
先生が酸素室に入れる。
しゃっくりが続く。
そして、夫と私が見つめる酸素室の中で子猫は息絶えた。
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泣く私。
泣く私をなぐさめたかったのだろう。
普段いっさい私に触れないようにしている夫が、指先でチョンと私の二の腕をつついた。
私はこれを優しいと思うべきなのだろう。
けれど未だにそうと受け止める器はない。
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死んだ子猫と、最後の夜を過ごした。
しかしまだ、体調を崩し、生きているメス猫がいる。
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これが、子猫たちとの2日目。
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次回に続きます。
↓
夫を障がい者だと思った日③