カサンドラ症候群がかけて欲しい言葉
カサンドラ症候群がかけて欲しい言葉。
と言っても、私はカサンドラ症候群になりかけていた時に、
「カサンドラ症候群」という言葉を知り、
私の人生、「自分が病んでいる場合ではない」と奮い立って、
いろいろ模索しながら工夫を重ね、生活に変化を与え、
今に至っています。
知ることは大事ですね。
この模索や工夫はいずれブログで綴るとして。
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もちろん、過去のブログを読むと、
削除したいなと思うくらい、
ちょっと怖くて、
心がキリキリするような内容もあります。
心が、本当にピーンと張り詰めて、硬くて。
いっぱいで。
ここに綴ることで叫び出したい言葉を抑える時期もありました。
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今はずいぶんとラクになっています。
どうしてラクになったのか。
これもいずれブログに綴るとして。
まだまだもっと辛かったこともいずれ綴るとして。
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「カサンドラ症候群がかけて欲しい言葉」
個人的な所感ではあるけれど。
それは、神のような言葉ではないのです。
「乗り越えられたらきっと」 だとか。
「神様の与えられた試練」 だとか。
そんな美しい言葉ではないのです。
ポジティブになれるきっかけの言葉でもないのです。
深い言葉、難しい言葉ではないのです。
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たとえ心がなくてもいいから、
「わー大変だね」 とか
「それって辛すぎるねー」 とか
そういった単純な、肯定の言葉です。
「うそっ」「マジで?」って顔をしかめてくれたり。
いっそ一緒になって文句を言ってくれてもいい。
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そして、変わらずそばにいて欲しいですね。
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自分がカチカチだった頃。
ふと言葉をかけてくれただけの相手に長文メールを送ったこともありました。
もう10年も会っていない人なのに。
もちろん周囲は、「旦那さんがアスペルガー症候群」と聞いても、
かける言葉を見つけるのは難しいと思います。
しかも私はカサンドラ症候群になりかけている(もしくはなっている)ものだから、
語る内容も思いつめています。
それでも聞いてくれて。
そっと見守って、待ってくれていた。
そのことに感謝です。
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私が逆の立場だったら「優しそうな人だし・・」と、
旦那さんをかばうことで相手を慰めたかもしれません。
でもカサンドラ症候群にとって、それは絶対してほしくないこと。
優しい旦那さんを心の中で、もしくは直接、攻撃する自分自身が、
はなから辛いのです。
「優しそうな人だし・・」と言われるたび、孤独になっていくのです。
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あ、もちろん、弱った時に離れていった人もいましたよ。
いつだってそういうことは、ありますよね。